2006年12月24日

クリスマス(キリスト生誕祭)

 

 イエスは、愛を分かち与えることを人生の主たる目的とすることを決意しましたが、それによって多くの障害に直面し、さまざまなものを失いました。イエスは、真の人間とは、「困難に立ち向かい、愛に向かって突き進むことのできる人間」であると考えました。損失や苦しみに屈してはなりません。楽しいことに流されてはなりません。すべてのことに同じ姿勢で向き合いなさい。
 イエスは、世の窮状を、決して見過ごしにはできませんでした。エルサレムではハトが売られ、いけにえとして殺されていましたが、イエスは、その哀れな生き物に対する暴力を公然と非難し、そのような暴力を止めさせ、とらわれたハトを空へ放つという神聖な仕事にとりかかったのでした。一部の人びとはイエスを中傷し始め、処罰しようとしました。善には常に、影のように悪がついて回るのです。喜びには困難の影がつきまといます。すべて対立するものは、相互に関係しているのです。
ババ(1995.12.25 クリスマスの講話より)
 

 愛のあるところに、憎しみの生まれる余地はありません。誰のことも妬ましく思ってはなりません。そのような悪い性質が現れるなら、愛は逃げて行きます。清らかなこころに愛は宿るのです。清らかさのあるところに調和があり、調和は神へ至る道です。
 今日、人びとには清らかさが欠けています。それでいてどうして、神を理解できるでしょう?あなた方はいかなる欲望を持つこともなく、神にすべてを捧げねばなりません。あなた方のすべてを神へと捧げなさい。それがイエスの教えです。イエスはすべてを神への捧げものとみなしました。
 イエスが十字架に架けられていたとき、辺りにいた人びとは涙を流していましたが、そのとき、霊妙な声がはっきりと言いました。「すべてはひとつ。愛しい息子よ、誰に対しても等しくありなさい。」
 イエスは言いました。「死は人生の衣装です。」服を替えるのと同じように、わたしたちは肉体を替えるのです。肉体は内なる魂にとっての衣装です。肉体はその程度のものなのです。肉体について心配すべきではありません。
 どれほどの人がこのような教えに注意を払っているでしょう?理想的な人生を送ることを学びなさい。それがイエスの誕生日の正しい祝い方です。今日、偉大な教師たちが示した理想を守ろうとする人はほとんどいません。
 イエスは、彼の教えに反対し、彼に非難の目を向けていた嫉妬深い人びとの犠牲となりました。神の帰依者であるなら、あなた方はそのような人びとからの批判を気にしてはなりません。善良な人びとはみな、そのような困難に向き合わねばならないのです。すべてはあなた方のためであると考えなさい。

ババ(1997.12.25 クリスマスの講話より)
 

 神の愛を養いなさい。他のいかなる形の愛も、それはまったく愛と言えるものではなく、単につかの間のはかない執着に過ぎません。己の神聖を忘れることは最も愚かなことです。あなた方はみな、自分たちが神に由来することを悟らねばなりません。すべての人は神の子です。誰もが神へ神へと、ますます近づいてゆくよう努力せねばなりません。それがサーダナ(霊性修行)です。
 「神はあなた方のこころにいる」ことを感じなさい。こころに思いやりを養いなさい。思いやりのないこころは、石ころのようなものです。
 それがイエスのメッセージ、愛のメッセージです。愛は神です。愛に生きなさい。一日を愛で始め、愛をもって一日を過ごし、愛で一日を終えなさい。それが神への道です。愛に満ちた者だけが、神の愛しい者となるのです。

ババ(1996.12.25 クリスマスの講話より)
 
戻る